こんにちは。
今日は趣向を変えて、僕が「なぜ陶芸を始めたのか」について書いて行きます。
こちらは、今後不定期でいろいろと書いて行けたらと考えています。
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2002年1月、大好きな祖父が亡くなった。
風邪をこじらせて入院。その後わずか1週間後に肺炎で逝ってしまった。
90歳を過ぎても本当に元気で、毎日のように庭いじりをしていた祖父。
そんな祖父が愛してやまなかったものが2つある。
それが「陶芸」と「盆栽」だ。
始めて祖父母の家に行ったのはいつだったか、もう思い出すことはできないが、庭一面に置いてあった盆栽たちは鮮明に記憶に残っている。
階段状に組まれた土台に綺麗に並べられた盆栽たち。
その盆栽たちに毎日ニコニコしながら水をやる祖父。
今でも鮮明に思い出すことができる祖父の姿だ。
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僕が6歳のときに母親がくも膜下出血で倒れた。
その日、僕と兄は一緒に出掛け、ガンダムの再放送を見るために大急ぎで帰宅した。
確か夕方の5時半から放送がやっていたと思う。
僕は帰ってくるなり大急ぎでテレビの前に陣取ったが、兄は母親がいないことを不審に思い、家中を探し回った。
母親は一番奥の部屋で、嘔吐しながら倒れていた。
小学3年生だった兄は、母の友人に電話し、その方が近所の総合病院に運んでくれた。
今だったら、比較的軽症で済んだと思われるが、当時は医学もそこまで進んではおらず、入院し安静にするという処置が取られた。
総合病院から近所の個人病院に移ったものの、入院は1年にも及び、その間は祖父母が生活を見てくれるようになった。
退院できるまでに回復した母だったが、父1人では母の介護と僕たち兄弟の子育ては両立できるはずもなく、母親と僕たちは兄弟は、祖父母の住んでいる山梨県甲府市に2年間預けれれることになった。
そう、盆栽が騒然と並ぶあの家に2年間住むことになったのだ。
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僕たちが移り住んだとき、すでに定年退職していた祖父は、毎日とにかく庭いじりをしていた。
盆栽に水をやり、家の壊れた箇所を直し、夕方にはお酒用のつまみを作る。
今、僕が憧れているライフスタイルだ。
多分、無意識に祖父の姿を自分の老後と重ねているのだろう。
そんな祖父母の家での生活は、いろいろと刺激に満ち溢れていた。
移り住んだのは僕が小学校3年生のとき。
このくらいになると、もう自分の意志で好きな所に遊びに行くことができ、また甲府市は山があり、川がありで遊ぶ場所には事欠かないところだった。
ある週末、祖父が陶芸を教えている施設に行く機会があった。
もう、本当にぼんやりとしか覚えていないが、確か祖父と一緒に大きな窯の中に入った。
そこには焼き上がった器たちがたくさん並んでいた。これが陶芸との出会いだったと思う。
でも正直、この頃の僕にとって、陶芸も盆栽も、おじいちゃんがやることと決めていてあまり興味も湧かなかった。
のびのびと祖父母に育てられた僕たち兄弟は、2年間の甲府市での生活を終え、もともと住んでいた千葉県木更津市に戻ることになる。
母親もその2年間で、右半身に麻痺が残ったものの、しゃべることも外出することもできるくらいに回復した。
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次回に続く。